Ignotism
「なぜだ!なんで!どうして!」
砂糖の売人は言い知れぬ恐怖を感じていた。
何か月もかけ砂糖で調教した正義実現委員会の下っ端を利用し、いまだに砂糖を甘受しようとしない仲正イチカを捕らえ、その頑なな振る舞いを理性ごと甘く蕩かしてやろうと画策していたというのに。
「なんでっお前ら!オレに銃を向けているんだ!」
その寸前で反旗を翻されている。砂糖漬けにし、絶対服従を誓わせた奴隷たちにだ。
おかしい、ありえない。どんな奴らもこの甘味の前には無力で、誰も彼もが瞳を濁らせ、四肢は弛緩し、恥じらいを失い、尊厳を捨てたのを目にしてきた。こいつらもそうだったハズ、そうでなくてはあり得ない。
「クッソ!命令だ!『伏せろ!』『媚びろ!』『跪け!』」
苦し紛れの怒号が空しく反響し、その後にくすくすと小さな笑い声が続く。
「ほんとその命令好きだよねぇ」
「ねぇ~、寂しんぼさんなのかな?」
「いえいえ、自分の優位性を確認し安心したいのでしょう」
「砂糖の配給の時はまだしもご飯の時も犬食いさせられてたもんね」
馬鹿にしやがって。隠し持った拳銃を構えようとするもあっさり撃ち弾かれる。
「……ほ、ほらっ!くれてやるよ!なっ?オレたちしか使えないとびっきりの砂糖だ。なあ欲しいだろ?欲しがれよ、なあ。……獣みたいに涎垂らして這い蹲れよ!!!なンで平気な顔してんだテメェらは!!どんなイカサマした!言え!!教えろよ!!」
「なにって、ねぇ?」
「……耐えてるだけですよ?」
事も無げに言われ、売人は愕然とする。
「……はぁ!?馬鹿なことは言うな!お前たちには特別濃いやつをくれてやった!それも毎日!吐き捨てていないかも確認させた!痩せ我慢はやめろ!!今にも倒れそうなんだろうが!?」
「んー、そうですね、ひどい目眩です。銃声が頭に響いて割れてしまいそう」
「吐き気もすごいよ。水を一口飲んだだけでも戻しちゃうんじゃないかな」
「まあ、倒れてるのはそっちなんだけど、正義がこんなもので挫けると思ってた?」
狂っている。イかれている。こんな奴らが正義を名乗っているのか?
「いいことを教えてあげましょう。正義の名の下に暴力を振るうのはとっっっっても気持ちいいんです♡」
「そう、お砂糖なんかよりもずっと。ずぅっとね」
「それに、頭も痛くならないし吐き気もしません」
「ただで手に入る最高の快楽。悪いけど比べ物にならない」
……くすくす、うふふ。
穏やかな湖面に立つさざ波のような笑い声が誰ともなく漏れ出す。
きゃはは、あははは、くははは。
それは競うように声量を増して大きなうねりとなる。
あはははははははははははははははははははは!!!!!!!!!
あはっ!!!あははっ!!!!あはははははは!!!!!
何がそんなにおかしいのか、狂笑の渦が鼓膜を叩く。
「だからね!この日を待ってたのっひひひっ!」
「酷いこといっぱいされて!殴り返せる日を待ってた!」
「間抜けな悪者がいっちばん油断する日!一番邪魔されたくない日!」
「それでね、ぜえんぶ壊しちゃうんだ!この工場兼輸送場はもうお終い!あなたのくっだらない油断のせいで!」
脳が理解を拒む。こいつらはオレと同じ生き物か?ヒトの皮を被った化け物なんじゃないか?
「……クソ!クソッ!化け物が!正義中毒者(ジャンキー)共め!!」
「あはっあははっ、ふぅ……ふっ、くくっ、はぁ。褒めても何も出ませんよ?」
「……施設の占領終わったって」
「そうですか、じゃあイチカ先輩は返して貰いますね。それでは、ごきげんよう」
全身に銃弾を受け、売人の意識はそこで途切れた。